着ていく服がないのでお金を作るためにブランド買取

従妹の初盆に参加した。従妹の育った家は土地持ちの農家で、広い土地、広い家、三世代が同居する大家族である。手伝ってねとお願いされ式服を着て早めに行ったがすでに壇飾りなどの準備はあらかた済んでいた。

 

「もう済んだよ」と笑いながら言われたが目は怖かった。おばちゃんにはかなわないなぁ。田舎なので一日中特に夕方以降、おまいりに訪れる近所の方たちが多いそうで、そのための足元や座敷に上がるための階段作り、外の松明などの準備が、男たちが意見を戦わせながら進められていた。

 

親世代、子世代の遠慮ない言い合いは激しく、そのそばで小さめな声で意見や文句を言う孫世代(いつのまにか中2になっていた)の成長は見ていて頼もしく、おばちゃんは感心。サラリーマン家庭に育った私には、彼らの言葉や態度はちょっと乱暴に感じたが、その率直さに大家族もいいかもと思った。

 

男性は力仕事と音頭とり、女性は実際の作業をそつなく進める。うまく分担ができていて素敵だと思った。  和尚さんが来て、お経をあげてくださった。が、数分の後、お土産とお礼のお金をもらい帰っていった。参列者からは当然その時間の短さに文句が聞こえたが、お盆の真っ最中なのでしかたないのかもしれない。計20分もかからない滞在時間で30000円+お土産か、いい商売なのかな。その後は次々と訪れる方々のお迎えをした。正座に慣れず、そのしんどさを笑いながら訴える亡くなった従妹の父にあたる人に近しいものを感じた。

 

ふだんめったに話したことのない人だったのに。途中、その人と私の間の空間にとんぼがやってきた。捕まえようとしたが逃げられ、そのとんぼはすーっと壇飾りの上の布の陰に隠れてしまった。まるで上から見下ろすかのように。大好きだったお父さんの近くに従妹がとんぼに姿を変えてやってきたのかなと思わず目で追ってしまった。ちょうど伊集院静のエッセイにもそんな文があったせいもあるけど、その飛び方が従妹を思い出させた。  初盆とはいえしめっぽい感じはなく、皆が一生懸命にこの行事を滞りなく終わらせるために力を尽くしていると感じた。

 

この歳になると、親戚一同が会するのはこういった行事ごとのことが多いが、今回は特に明るさが感じられた。若くして亡くなった従妹ではあったが、彼女は知的障害を持っていたため、生前もこの雰囲気そのままに、まわりの人に気にされ、世話され、また明るさや笑いを振りまいて生活していたのかと想像した。

 

私自身、障害者施設で仕事をしており、障害があってもまわりの人の役に立てていることを改めて実感した。何かあるたびに遠距離を移動することは時間もお金もかかることだが、社会勉強のため、自分のルーツを再発見するためにこういった行事ごとは大事にしたい。だからブランド買取をしてもれらってからお金を作りたいと思います。

ちなみにブランドを買取してもらうならブランド買取りの口コミと評判!バックや財布や時計を高く売る!が参考になりましたよ!